子育てしやすい賃貸物件〜エリアと間取りで探してみたらこうなった〜

このエントリーをはてなブックマークに追加

東京で始めての賃貸アパートへの引越し

大学を卒業し、大学院の試験に失敗です。
1年またもや浪人して1年後にやっと院生になれたのです。
これを機に、引越しを行いました。
練馬区の氷川台に3万5千円のアパートの二階に住むことにしました。
有楽町線沿いにある住宅地であります。
4畳半が2部屋です。
風呂はないです。
また銭湯暮らしであります。
しかし、もう銭湯暮らしにも慣れ、バイトと奨学金で普通の生活がおくれました。
2日に1日だけしか行けなかった西新井時代だったが、自転車で5分程度の所の銭湯にほぼ毎日通えるまでに出世しました。
いつかは風呂付に住んでやろうと思っていました。
大学院に入ると仕送りはなくなり、親からは学費は払って貰っていました。
感謝であります。
生活費だけは自分で稼がなければならなく、贅沢はもちろん出来ないのだが、家庭教師や塾講師など時給も良く、十分生活はやって行けました。
もちろん勉強も怠らなかったです。
大学院には研究生時代を含め、6年間在籍しました。
大学院の生活と、アルバイトの区別がつかないくらいに忙しかったです。
そのアパートには7年間、東京生活の最後までいたことになります。
銭湯がつぶれてしまい、かなり遠くまで行かなければならなくなりました。
当時、3分間で100円のコインシャワーがあり、遠くの銭湯より、手軽なコインシャワーを使うようになりました。
中が非常に狭く、急いで駆け足のようにシャワーを浴びていました。
大家さんが風呂はどうしているのかと聞いてくれました。
大家さんはクリスチャンの方で同情してくれて、アパートの2階を改造してユニットバスをつけましょうか、と聞いたときには、やっと風呂付の部屋に住めると喜んだものでした。
3万5千円の家賃は4万3千円に上がったのだが、この値段で風呂付にはどこでも住めない金額でした。
私は引越しをする必要もなく風呂付に住めたのです。
次の目標は庭付きの一軒家に住むことでした。
庭でバーベキューをしたり、テントを張ったり出来るくらいの家に住むことに代わったが東京での生活はこの辺でおしまいであります。
大学に残れないと分かり、失望して死のうとも思ったが、私立の適性検査を受けたり、田舎の採用試験を受けたりし、研究の道には進めないことから、就職先を決めようとしました。
31歳の時であります。
ある私立高校から内定をもらい、更に、田舎の高校からも採用され、田舎の方の決定の知らせの方が早かったので田舎に引き上げる決心をしたのであります。
当時付き合ってくれていた女性は田舎に来ることは出来ないと言われ、そこで終わってしまいました。
東京での13年間の賃貸生活は終わり、田舎教師としての生活が始まることとなります。
32歳になろうとしていました。

Copyright (C)2017子育てしやすい賃貸物件〜エリアと間取りで探してみたらこうなった〜.All rights reserved.